死なないように、長生きするってことが間違いなんじゃないの?

Still blowing after all these years
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偉大なヴィジョナリー、スティーブ・ジョブズも言っていた。「死は最高の発明」だと。

アンチ・アンチ・エイジング。

この場合、老化に対抗する事に対して批判的である、ということだが、美しくありたいとする事に対して、自分は寛容でありたいと思う。

美しく年を重ねるということが可能だと考えているからだ。

これは女性に限らない。男性でも美しく年を重ねることは可能だと思う。

僕らの先輩たちの中で、尊敬できる年の取り方をしている人を見習おう。

威厳があり、自分の考えをきちんと持ち、誇り高く生きる生き方を。

死が存在するから生が輝く。終りがあるからその過程に意味がある。桜がきれいなのは、散る儚さを人間が知っているからだ。

だから一生懸命に生きなければいけない。

少なくても自分は、死なないように長生きするんじゃなくて、生きている間を正直に、精一杯生きたいと思う。



人はかくも弱き生き物

M7.0 earthquake: the first day of 2012
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首都圏でも地震が起こる、という予測が出たようです。

日本首都圏、4年以内に大地震発生の可能性
http://japanese.joins.com/article/649/147649.html?servcode=A00&sectcode=A00

それに対して自分たちができることは何でしょうか?

備える。
備えるって?水を?電池を?防寒具を?本棚に突っ張り棒を?

例えば、明日の10:00に100%、M7の直下型地震がやってくるということが事前に分かったとする。
そうしたらどうするか?
たぶん、会社には行かないで、近くの公民館や小学校に避難所に避難する。

それでも、と思う。それでも 結局何もできない。
正直なことを言えば、私は先の大地震が発生したあと、あんなに大惨事になると思っていなかった、という感想を持った。
きっと被災した人の中にもそう感じた人は少なからずいると思う。

事前に予測できないばかりか、予測できたとしてもできうることには限りがある。
人は弱い生き物なんだと改めて思う。

それで今後4年間にでかい地震が来るかもしれません、って言われても、どうしようもないよねって感覚。
普通に会社に行き、「今日のお昼は何食べようか」なんて考える。

きっと大災害が起きてから、「こんなことになるなら、家にいればよかった」と思うんだろうな。
でも社会生活をしている以上、4年間ずっと引きこもって地震に備えるわけにもいかず、そういう意味でも人間はか弱い生き物なんだなと思う。

作物は安全なのに……か、それとも安全など信じられないか 2つの異なる視点
http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/world/newsengw-20120125-01.html?pageIndex=2

 少し話がそれるかもしれないですが、リスクヘッジをどこまでするか、という大きな枠に入れることができると思います。
「何が本当かわからないのだ」という不安を常態として受け入れられるかという、そういう重荷。
この言葉が見事に言い当てています。

絶対安全とか、絶対確実ということは、「絶対」無い。
だから、そういうことが起こったとき、デマやドグマに流されず、自分で考えて行動しなくてはいけないんだと思います。



eclipseでコミットできなくなった時の対応メモ

PC250024
Creative Commons License photo credit: MeRyan

たまにはtech系のエントリーを。

ある日、eclipseでコミットができなくなりました。
コミットをすると下記のようなエラーが出ます。

SVN: '0x0040011a: メニュー呼び出しアクション' 操作がエラーで完了しました: org.eclipse.team.svn.ui.composite.CommentComposite$3.<init>(Lorg/eclipse/team/svn/ui/composite/CommentComposite;Lorg/eclipse/swt/widgets/Combo;Ljava/util/List;)V
org.eclipse.team.svn.ui.composite.CommentComposite$3.<init>(Lorg/eclipse/team/svn/ui/composite/CommentComposite;Lorg/eclipse/swt/widgets/Combo;Ljava/util/List;)V

超きょどって、再起動したり、他のプラグインを入れたりしましたが埒があきません。
仕方ないので、work spaceを別の場所に保管して、eclipseをインストールしなおしました。
起動してみたところ1回目はうまく行きました。2回目以降、また上記のエラーを吐くようになったのです。

うげー困った。。。

ということでネットを探したところ、下記記事をみつけました。

エラー→Eclipseで再起動でフリーズした場合の対処方法
http://gaano.sblo.jp/article/47121927.html

ここにはフリーズした場合の対処法として書かれていますが、上記の「コミットできない!」という現象に対しても有効でした。
ちなみに、eclipseでcleanオプションつけてショートカットにするという設定の記事もありました。

eclipse.exeの-cleanオプションをショートカットに設定する
http://www.myeclipseide.jp/blog/2008/12/eclipseexe-clean.html

この記事が誰かの役に立ちますように。



日本にイノベータがいない理由

GCF 2012 | Global Competitiveness Forum | SAGIA
Creative Commons License photo credit: Mohammad Bahareth

スティーブジョブズが亡くなった時、日本にはなぜ彼のように偉大なイノベータが居ないのだ、ということが一部で話題になりました。
ですが、あれだけ「スティーブジョブス死去」がバズワードになってしまい、お祭り騒ぎになっている中、「自分はこう思う」ということを表明することは、海面に揺られているのが好きなのか、 よほど図太い神経の持ち主でないとできないかというように感じ、これまで自分の考えを出しませんでした。

年も明けたことだし、そろそろ周りの方も「そんなこともあったね」的な感覚になっているように感じたので、今から発表することにしました。

1.歴史的理由
この話の前提として、人間は突如としてこの地上に降り立ったのではなく、意識が遠くなるほど膨大な過去の歴史の積み重ねによって人間は地球に存在しています。そういう意味で日本人も、ある日突然日本に棲みつき始めたのではなく、アフリカから発祥した人類が、アラビア半島を経てユーラシア大陸を横断し、朝鮮半島を下って日本にたどり着きました。島国であるという地理上の理由から、比較的国個体の風土が守られる傾向があります。そういう意味で日本は土着の「村文化」です。新しいものを進んで受け入れるよりは、これまであった風習や文化や資源を使おうとする保守的な傾向があります。そういう体質を一言で言い表している言葉もあります。「出る杭は叩かれる」。どちらかといえば迎合型であり、他者との関係性を重視します。そのようなコミュニティの中で周りの他者=村人とうまくやっていくことは、死活問題となります。これは「村八分」という言葉が最もよく言い当てている現象だと思います。
そのような歴史的な背景があって、今現在があります。良いとか悪いとかを言っているのではなく、そういう土壌の上に現在の環境が成り立っているのです。

2.日本は個人主義ではなく、権威主義・集団主義。
これは統計を取ったわけでも、その筋の方から協力を頂いて調査をしたわけでもなく、自分の実感から感じていることなので、何とも抽象的な話になってしまいますが、アメリカでは個人主義がその体質の多くを含んでいるということです。他人は他人で、あまり干渉しない。他人はどうあれ、自分は自分。他人と自分は隔絶されており、その間には大きな価値観の差があります。これはアメリカという国家が多民族が占領した国だからということと関係があると考えています。
それと関係があるのかは分かりませんが、その人がどんな人だろうと、 他者に認められる功績を残せば認められるということです。ここが大きく日本と異なるように感じます。

3.失敗が認められるかどうか
こんな記事がありました。

日本とシリコンバレーの大きな違いと「失敗」の意味
http://blog.livedoor.jp/kensuu/archives/53598754.html

色々な場面において、日本で失敗すると徹底的に叩かれる傾向があるように思えます。戦後、日本の文化は「恥の文化」だと言われてきました。他人との関係性が生死を分かつことがあるため、他人の目を気にしなければいけないのです。300年続いた江戸時代に「切腹」という風習があったことはこれを説明しているように思えます。対して、アメリカでは、移住自体が挑戦でした。どんな生活が待っているか?そもそも生活はよくなるのか?何も保障はない。しかしアメリカに上陸したWASPは先住民族を皆殺しにしてその地に住み始めました。その結果今のアメリカが存在します。チャレンジしたことが今の国家を形成しているのです。

 

日本にイノベータがいないのは、コミュニケーションだとか、制度のせいだとかいう「アントレプレナー(笑)」の方もいらっしゃるようですが、自分は上記3点の理由からだと考えます。こうした背景を考えることなしに、表面上の差異を比較することは、一時的な衝動かもしれません。そしてそれは同じ土俵で比べても仕方のないことなのではないか?とも感じます。

人間が生きている以上、常識や偏見から逃れることはできないかもしれません。それでも、強烈なパッションがそんなドグマを乗り越えさせるのかもしれないと感じます。

「ドグマ(しがらみ、常識、偏見)にとらわれるな」・・・スティーブ・ジョブズ



ソーシャル・ルーツ・サーチ、はじめました。

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Creative Commons License photo credit: Robert Whitehead

ソーシャルルーツサーチを始めました。
SNSを使って、先祖や家系について調べることです。自分が勝手に命名しました。
自分の苗字は珍しく、はんこやさんに行っても自分の苗字は無いし、実生活では親類以外で同じ苗字の人に会ったことがありません。

facebookという実名登録制のSNSが出てきたことで、色々な人に簡単にコンタクトを取れるようになりました。
もちろん実名ですし、苗字で検索すれば、繋がりがありそうな人たちとすぐにコンタクトを取れます。
これはすばらしいことです。

ソーシャルルーツサーチは、実際どのようにやるかというと、実は結構手間がかかります。
苗字で検索して、先祖や家系について知っていそうな人にメッセージを送ります。
自分が先祖や家系について調べてること、自分が調べた結果、もし知っていることがあれば連絡がほしい、などです。

ここで自分が気をつけたのは、怪しいメッセージにならないように、ということです。
ただでさえSNSは出会い系の温床とされたり、スパムが大量に来たりと、あまり良い目をされない場合があります。
そこに「先祖について教えてもらえませんか?」などというメッセージが来たら誰でも怪しむでしょう。
そうならないよう、きちんと説明を入れた上で、自分が調べた結果などを交えて、あくまでも本気で調べている、ということを前面に出してメッセージを発信しました。
そして、本気で調べています。

まだソーシャルルーツサーチを始めて1週間ですが、ありがたいことに色々な方から返信をいただき、かなり信憑性の高い情報までいただくことができました。(この場を借りてお礼申し上げます。)電話帳を調べたり、手紙を送ったりすることにくらべ、記事をURLで送ったり、まとめた情報をWEBに載せたり、それはもうこれまでとは格段にやりやすさが違うと思います。

珍しい苗字をお持ちの方や、そんなに珍しくないけど家系に興味がある方にぜひお勧めしたいです。
そしてこのソーシャルルーツサーチが流行って、第一人者として雑誌に取り上げられたいですね(笑)



アメリカの正義

On ne photographie pas un citoyen à terre
Creative Commons License photo credit: Roger Joly

またアメリカ人がやってくれました。

遺体に小便 米政府対応に追われる
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120112/k10015213681000.html

ブラックヒルズ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%92%E3%83%AB%E3%82%BA

ウンデット・ニーの虐殺 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%81%AE%E8%99%90%E6%AE%BA

グアテマラ性病人体実験、規定放棄で1300人感染=米大統領委
http://reut.rs/pmEcRr

「撃墜された」ユナイテッド93:その証拠と証言の数々
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1476426

アブグレイブ
http://www.bllackz.com/2009/06/blog-post_08.html

原爆資料館を訪れたチェ・ゲバラ/『チェ・ゲバラ伝』三好徹
http://hakomori.me/wp-admin/post.php?post=92&action=edit

原爆投下間違ってなかった米国民5割…松本人志怒る
http://www.youtube.com/watch?v=jbKMIY64bHU

原爆投下は悪くない、謝らない。むしろ謝れ。Remember Pearl harbor
http://www.youtube.com/watch?v=EU4iv_JB9s4&feature=related

 米軍ヘリによるイラク市民銃撃映像、告発ネットが公開
http://www.youtube.com/watch?v=kEKrja_crlA

 

 いやぁ、こう見るとアメリカ人って壮絶な人種ですね。
 


 米軍ヘリによるイラク市民銃撃映像、告発ネットが公開
http://www.youtube.com/watch?v=kEKrja_crlA


息の根を止めるまで叩く風潮

Opening Envy - www.yme.nl
Creative Commons License photo credit: Yme Bosma

内田樹「呪いの時代に」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/28694

マスメディアが政治家や芸能人を叩く様子。

アメリカでしょっちゅう行われているネガティブキャンペーン。

「disる」というバズが流行るのもそういう背景。

ネットいじめと同じ方法。

昔はおおらかで許されていた言動も、今では許されない。

息の根が止めるまで叩き続ける。

個人でも企業でも同じ風潮があるのではないだろうか?

バカなことも言えなければ、振る舞うこともできない。

以前のように「会社に一人はいた○○バカ」(釣りバカ?)は排除されるようになった。

閉塞感がますます加速する一方。

その呪詛から身を守るには、村上春樹のように、逃げるしかないのかもしれない。

しかし翻ってみると、憎しみ、妬み、羨望、そして大勢がマイノリティーを、息の根を止めるまで叩く風潮は

いつの時代も存在し、一部の平和な時代を除いて、常に存在しているのかもしれない。

考えてみたい。

「人のこと嫌いになるってのは、それなりの覚悟しろってことだぞ。」

http://www.excite.co.jp/News/woman_clm/20100813/Nylongirls_2010_squash_11_3430.html

この時代に必要なのは、
「妄想的に亢進した自己評価に身を預けることを自制して、あくまで「あまりぱっとしない正味の自分」を主体の根拠として維持し続ける」
ことなのかもしれない。



歴史の必然性と世界を変えることについて

Panavitiya Ambalama
Creative Commons License photo credit: Srinath Perera

ガリレオ・ガリレイをご存知でしょうか。コペルニクス、ケプラー、ニュートンと並んで科学革命の中心人物とされている人です。1633年、彼はローマ教皇庁検邪聖省から有罪の判決を受け、死刑を言い渡されました。何の罪だったのでしょうか?地動説を唱えたからです。あなたはいま、地球が回っていることを知っていますか?何を馬鹿なことを、と思うでしょう。でも、ガリレオの時代に地球が回っているという、現代では当たり前とされている事実が、公然と否定され、その当たり前と言われている事実を告げるだけで死刑になりました。後に減刑されましたが、一生監視付の邸宅に住まわされ、死後も名誉は回復されませんでした。

このことについて、ローマ教皇庁が裁判の見直しを行い、最終的に1992年にヨハネパウロ2世が、裁判が誤りであったことを認めました。ガリレオの死去から350年経ってからのことです。日本人の寿命が70年として、350年という月日を実感として想像できるでしょうか。
(ちなみに、このエントリーではローマ教皇庁が悪い、と言っているのではありません。)

この例で想像できることは、他にも地動説の賛同者がいたのではないか、ということです。
しかしそのころのローマ教皇の権力は絶大で、その意思に異論を唱えることはできなかったのだと思います。
歴史にIFは禁物ですが、そのころ多くの人が地動説に賛同していたら、世界はどう変わっていたでしょう。
きっと科学は今よりずっと進んでいたでしょう。

そしてそのころは黙殺していた外野の人々は「俺も実は地動説は正しいと思ってたんだよ」と言うでしょう。
それは自分自身の保身のためです。科学の進歩と自分の命を天秤にかけ、自分の命を選択したのです。

しかし歴史は必然です。そのような歴史の上に現在があるのです。これはどうしようもない事実です。

そのローマでは、キリスト教が異端とされていた時代もあります。ネロ帝だけでなく、5賢帝の時代には、キリスト教徒であるだけで罪になるようになったようです。
そのキリスト教ですら、異端とされた宗派(アリウス派、ネストリウス派、カタリ派など)は抹殺されたり、厳しい弾圧にあいました。
しかし、皆さんご存知のとおり、キリスト自身が磔の刑でしたね。
(ここでもキリスト教が良いとか悪いとか言っているのではありません。念のため)

セイラム魔女裁判というのをご存知でしょうか。これは1692年から、アメリカで実際に起こった魔女裁判です。皆さんは厳密な意味で魔女がいると思いますか。(人を虜にしたり、年の割には若く見えるという方は別にして、旧来の意味での魔女)その時代には魔女がいたのでしょうか?
この魔女裁判の結果、19人が処刑され、1人が拷問中に圧死したそうです。拷問をかけられただけでもぞっとするのに、圧死ってどんな感じなんでしょうね。
(ここでもアメリカが悪いとか、魔女が悪いということを言いたいのではありません。)

話は変わりますが、村八分という言葉をご存知でしょうか。江戸時代の話ではありません。近い話で言うと、2004年に新潟県で村八分裁判というものがあったそうです。集落の有力者が勝手にイベントを企画し、その準備と片付けを村民にさせようとしたのです。有力者は「従わなければ村八分にする」と制裁を発したそうです。1952年には静岡県で、村ぐるみの不正を告発した女子高校生が、一家共々村八分にされた事件があったそうです。

このように見ていくと、歴史には必然があって、成り得るべくして歴史ができているということが分かります。
何か事件がおきたとき、その時にできることしか人間はできないと、自分は考えています。しかし逆に言えば、できることは全てできるのだと考えています。

確かにガリレオは地動説を唱えて死刑を宣告されました。しかしその出来事によって、歴史を動かし、変えたのです。もしそのときガリレオが地動説を知っていながらも保身を考え、世間に公表しなければ、世界はどう変わっていたでしょうか。

今当たり前とされている常識に真っ向から対峙し、権力を否定したらどうなるでしょうか。抹殺や拷問は無いにしても、悪くすれば村八分にされるかもしれません。しかしその現状に見て見ぬ振りをして何もしなければどうなるでしょうか。何も変わらないのでしょう。

何も、歴史的なイノベーションを起こすことが世界を変えることではないのだと思います。
過去になってしまえば必然、これから起こすことは未然であり、世界を変えるきっかけなのだと。

資料元:wikipedia



ブログを書くことのメリットとデメリット

microsiervos
Creative Commons License photo credit: alvy

年も改まったことだし、ここで改めてブログについて書こうと思います。
自分の考えをブログに書くことには意味があると思います。

1つ目はコミュニケーションの密度が高くなること。これには推敲することでより効率よく相手にものを伝えることができるという側面と、物事を伝えるために自分自身で考えを整理するという側面があります。口頭だと話の一貫性がなくなったり、前後関係が途切れたりすることがあります。それを少なくしてくれます。(文章書いていても起こることですが、経験的に少なくなるということです)

2つ目は書き残すことができること。最近の脳科学的にも立証されているように、人の記憶はあいまいなので、「あれ、あの時何て言ったっけ?」「あの件はどうなってたっけ?」ということが日常生活で起きます。そんな時、ブログを書いておくことは何かと役にたちます。

3つ目は自分の考えを他の人に伝えられること。これは大きなことです。今まで自分の考えを周りの人に伝えたら「そんな馬鹿げたこと考えてるのかww」といわれていたことが、「俺もそう考えたことがある」とか、もっと良ければ「すばらしい!」と賛同してくれる人が現れる可能性があるということです。(あくまでも可能性が広がる、ということです)

4つ目はダイレクトにアウトプットをすることです。人はインプットだけでもアウトプットだけでも脳が退化してしまうと、物の本で読みました。自分で経験したこと、感じたこと、読んだこと、聞いたこと、これらのことをただインプットするだけでは学びにならないのです。そして、アウトプットするのにブログは役に立つのです。

これだけで終わってしまうとメリットばかりで皆始めたらええやん、で終わりそうですが、やはりそううまくは行きません。
何事にも良い面と悪い面があるように、ブログにもデメリットがあります。

1つ目は時間がかかることです。人間は時間を消費して生きています。生まれてから死ぬまで有限の時間を生きています。そう表現すると途方も無い話なので、短く言うと、1日は24時間しかありません。その短い時間の中でブログを書く時間を作り出すのは大変なことです。もしかすると、好きなドラマでも見ていたい、と思うかもしれません。そして、ブログ書くよりTV見るほうが好きな人はきっとTVを見ることでしょう。絶対ブログ書いた方がいい!と強制するつもりもありませんし、個人の趣向を変えるのは困難なことです。

2つ目はネタに困ることです。それは常にブログを止めてしまう可能性があることを意味しています。ぶっちゃけ、始めるのは簡単です。気分のいい日にその時の気分に乗せて、書き綴ればいいのです。しかし、その後、1年、2年と続けていくのは本当に大変なことです。これは優れた文章を1つ書き上げる才能とは別の才能が必要になるのだと思います。(両方を兼ね備えた天賦の才を持った御仁もいらっしゃるでしょうが。)

3つ目は誤解を生むことです。人間も、言葉も不完全なものです。ましてや文章は完全ではありません。書き方のうまい下手で、受け取り手の心情によって、時代の流れによって、誰かの作為によって、意図しない方向に話が膨らんだり受け止められたりして、誤解を生みます。文章(主義や主張、考え方)だけが誤解されるのならまだしも、その文章を書いた人物の人格や生い立ち、ひどいときには家族までもが誤解されるのです。(こういったことは普遍的なのでしょうか?)

こんなリスクを負ってまでもブログを書いていることに何かしらの意味を見出すことができれば、きっとブログを書き続けることができるのでしょう。ちなみに、自分の場合は、メリットで上げたちっぽけなことの積み重ねで世界を変えるができるかもしれない、ということです。



windows7にpostgreSQLをいれてファイルをインポートする

centOSに入っているpostgreSQLのデータをエクスポートし、windows7にインストールしたpostgreSQLでデータをインポートする、という面倒くさい勉強になることをした。その時のメモ。

centOSに入っているpostgreSQLからのエクスポートは結構簡単。

pg_dump (dbname) > (outfile)

これだけ。
で、そのデータをwindows7側に持ってきて、

# \i C:\path\to\dir\outfile

とすると、

c::permission denied

とエラーをはく。(c::の部分はドライブ名)
なぜ??と思い、検索。。。

するとここにたどり着く。
http://bytes.com/topic/postgresql/answers/760927-input-file-permission-denied

この通りにやっても読みこんでくれず、色々やってみたところ下記で通った。

# \i 'C:\\path\\to\\dir\\outfile'

うーむ、クオーテーションと、バックスラッシュが余計に必要なのか。。
しかもwindowsの場合、それだけだと「postgre」DBにインポートしてくれちゃう。

なので、PgAdmin|||でバックアップ&リストア。
これでローカルの開発環境(eclipse+xampp+postgreSQL)ができたかな。

日々勉強。。